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物語りの塒

























 休日の静かな朝にひっそりと小説を書くことはひとつの幸福であるし、悶々と書きあぐねてついつい酒に溺れてしまう暗夜もそれはそれで悪くはない。あるいは昼下がりの古本屋でしおらしく埋もれている背表紙をもそもそと棚から抜き取り、褪せたぺージを繰って飛び込んでくる一行目につんと心を刺されたときのさわやかな痛みが好きだ。 

 小説という風景にぼうっと身をゆだね、原稿用紙のうえで万年筆の離着陸を持てあましたりパソコンのキーボードを途切れ途切れに叩いていくのは、ほんとうは幸福というよりもむしろ苦しみや矛盾のほうが多いのだけれど、胸のうちに去来する言葉はおもむろに吸い込まれ、帰っていくところがあるように思う。

 たとえばそれは「塒(とや)」であると、物語を紡ごうとすることは言葉をたずさえた人間にとっての帰巣本能のようなものなのだと定義する。決してふれられないけれど、とても近く、ずっと心に引っかかりつづけるような陽のあたる風景がはためくたび、じぶんは言葉という不安定な櫂をよすがにして何度もそこへ帰ろうとする。

塒(とや)...鳥の寝るところ。ねぐら。俗に、自分の寝るところ。我が家のこと。


2020/2/28, 29,  3/1 伊藤正人展「物語りの塒」colonbooks(名古屋)

青い鳥
















 生まれてから二歳まで住んでいた、じぶんにとってのいわゆる生家というも のが平芝町の一角にいまもなお残っている。平屋建ての古い官舎で、庭がずい ぶん広かった。どれくらいの築年数なのか気になって父のかつての勤め先に問 い合わせてみたところ、ことしで五十五年になるそうである。
 ふとしたきっかけで十五、六年まえにそこをたずねたときは空き家になって いて、たまたま出会った向かいの家のおばさん(おばさんは赤ん坊だったころ のわたしをおぼえていた)といっしょにその庭へ忍び込んだことがある。濡れ 縁にすわって眺めるとおだやかな秋の光につつまれた芝生は黄金色に輝き、なかなか住み心地のよさそうなところだと思った。いや、実際に二歳までそこに 住み、這いずりまわって縁側から転げ落ちていたとのことではあるが。
 昨年末にたずねたときには雑草が伸び放題でずいぶん荒れていたが、台所と 思しき磨りガラス越しの窓辺に物が置いてあって、だれかが住んでいるような 生活の気配がうっすらと漂っていた。

2019|紙にインク、糸にインク、テキスト、本多静雄「青隹自伝」、本多秋五「古い記憶の井戸」、メーテルリンク「青い鳥」、司馬遼太郎「北斗の人」|インスタレーションサイズ
アートデイズとよた2019 "Toyota Specfic : Recalled Folklore 誰かの思い出"
旧海老名三平邸(豊田市民芸の森)

国土私理院地図 豊田・長久手・猿投山篇









 折々の用事で豊田をたずねるたび、二歳のころに名古屋へ越して当時の記憶があるわけでもない、親から聞いた話だけではたどりつきようもない忘郷として、この町のどこかに思い出せないだけの潜在的な接点があるのではないかと願いながら風景にふれようとしているじぶんがいます。
 最近、ひょんなことから山登りというものをはじめて、一昨年は寧比曽岳、昨年は猿投山へ登りました。いま住んでいる長久手からも猿投山を望むことができます(方角、位置からしておそらく猿投山だと思われます)。もしかしたらかつて住んでいた平芝町からも猿投山がみえていたかもしれない、みずからの過去の視野と現在の視野をつなげるものとして猿投山がひとつの指標になるのかもしれない、そんなそこはかとなく浅い羨望や頼りのない言葉をよすがに、いまはぼんやりと地図をみて風景をたしかめたりしています。


2019|インク、グラシン紙、国土地理院地図2万5千分1地形図(一図郭580×460mm)

アートデイズとよた2019 “Toyota Specific : Scenery and Signs 景色と気配” スカイホール豊田(豊田)
写真|吉田知古

小説「アインソフの鳥」








2017|小説、紙にインク、鳥の羽|A6版、24ページ
個展 “小説の部屋 - アインソフの鳥”  AIN SOPH DISPATCH(名古屋)

小説の部屋 - アインソフの鳥











2017|壁面にインク|インスタレーションサイズ
個展 “小説の部屋 - アインソフの鳥”  AIN SOPH DISPATCH(名古屋)
撮影:山口幸一(上7枚)、伊藤正人(下1枚)