物語りの塒
休日の静かな朝にひっそりと小説を書くことはひとつの幸福であるし、悶々と書きあぐねてついつい酒に溺れてしまう暗夜もそれはそれで悪くはない。あるいは昼下がりの古本屋でしおらしく埋もれている背表紙をもそもそと棚から抜き取り、褪せたぺージを繰って飛び込んでくる一行目につんと心を刺されたときのさわやかな痛みが好きだ。
小説という風景にぼうっと身をゆだね、原稿用紙のうえで万年筆の離着陸を持てあましたりパソコンのキーボードを途切れ途切れに叩いていくのは、ほんとうは幸福というよりもむしろ苦しみや矛盾のほうが多いのだけれど、胸のうちに去来する言葉はおもむろに吸い込まれ、帰っていくところがあるように思う。
たとえばそれは「塒(とや)」であると、物語を紡ごうとすることは言葉をたずさえた人間にとっての帰巣本能のようなものなのだと定義する。決してふれられないけれど、とても近く、ずっと心に引っかかりつづけるような陽のあたる風景がはためくたび、じぶんは言葉という不安定な櫂をよすがにして何度もそこへ帰ろうとする。
塒(とや)...鳥の寝るところ。ねぐら。俗に、自分の寝るところ。我が家のこと。
2020/2/28, 29, 3/1 伊藤正人展「物語りの塒」colonbooks(名古屋)