名称未設定の手紙について
毎月28日、誰かに手紙を送るように文章と写真を添えている。
その「名称未設定の手紙」の発行を始めて、ちょうど3年が経った。
3年前、文章を書きたいのだが何から書き始めれば良いのか、それを誰に伝えれば良いのか分からなかった。そして、自分の書くものはどのような媒体にも馴染まないと思い、自らその媒体を作ることにした。僕は文章を書き、彼女は写真を撮る。それだけの些細なことをフリーペーパーという体裁にして配り始めた。
毎月毎月、文章と写真を出し合って、ああでもないこうでもないと話しながらも3年続いたのは、そういう制作過程が性に合っているということもあるのかも知れない。これから先、どれだけ続けていくのかはまったく決めていないが、名称が定まった時こそがその時だろうと思う。
◇
3年分の手紙、37枚を並べて見てみると、そこに書かれた文章は変化している。意図して変化させた部分もあるが、3年前に現在の文章を予見できていたわけではない。来月何が書けるかさえ分からない。文章は常に色褪せながらも、そこから新たな文章を見出そうとする。
言葉は生き物であるから、僕の文体が変化するのも当然のことで、創刊号の文章なんかはかなり恥ずかしいし、1年目はやたらと文章が長く、2年目はやたら小難しい単語ばかりで、2年目後半辺りから書き方を少し変えて、3年目からは一変して短く、質素な文章になっていく。
そこにある文章は長ければ良いというものでもないし、短ければ良いというものでもない。今は景色が言葉になりそうな瞬間ばかりを書こうとして、文章が短くなっているのかも知れない。
◇
少し以前に、ちょっとばかり不毛かも知れないが、その手紙を並べてこの中でどれが一番良いか考えていた。
実は僕は、自分の文章で気に入ったものがほとんどない。書き上げた時は納得しているのだが、それはその時点においての納得であって、時間が経つとどうも納得が薄れていく。だから写真に納得しているものがあったとしても、となりにある文章に納得できていないので、これだという一通がない。
強いて言うならばこの文章は良いかも知れない、という一通はあるが、写真の存在がやや弱い気がして、やはりそれも納得できない。
これは自分ひとりで作っているものではないので、どこかに不可視の線引き、“light note”という線引きが為されている。それはもう説明のしようがない、ただの感覚であって、その感覚の線引きに従って書いているという言い方もできるかも知れない。
その「名称未設定の手紙」の発行を始めて、ちょうど3年が経った。
3年前、文章を書きたいのだが何から書き始めれば良いのか、それを誰に伝えれば良いのか分からなかった。そして、自分の書くものはどのような媒体にも馴染まないと思い、自らその媒体を作ることにした。僕は文章を書き、彼女は写真を撮る。それだけの些細なことをフリーペーパーという体裁にして配り始めた。
毎月毎月、文章と写真を出し合って、ああでもないこうでもないと話しながらも3年続いたのは、そういう制作過程が性に合っているということもあるのかも知れない。これから先、どれだけ続けていくのかはまったく決めていないが、名称が定まった時こそがその時だろうと思う。
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3年分の手紙、37枚を並べて見てみると、そこに書かれた文章は変化している。意図して変化させた部分もあるが、3年前に現在の文章を予見できていたわけではない。来月何が書けるかさえ分からない。文章は常に色褪せながらも、そこから新たな文章を見出そうとする。
言葉は生き物であるから、僕の文体が変化するのも当然のことで、創刊号の文章なんかはかなり恥ずかしいし、1年目はやたらと文章が長く、2年目はやたら小難しい単語ばかりで、2年目後半辺りから書き方を少し変えて、3年目からは一変して短く、質素な文章になっていく。
そこにある文章は長ければ良いというものでもないし、短ければ良いというものでもない。今は景色が言葉になりそうな瞬間ばかりを書こうとして、文章が短くなっているのかも知れない。
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少し以前に、ちょっとばかり不毛かも知れないが、その手紙を並べてこの中でどれが一番良いか考えていた。
実は僕は、自分の文章で気に入ったものがほとんどない。書き上げた時は納得しているのだが、それはその時点においての納得であって、時間が経つとどうも納得が薄れていく。だから写真に納得しているものがあったとしても、となりにある文章に納得できていないので、これだという一通がない。
強いて言うならばこの文章は良いかも知れない、という一通はあるが、写真の存在がやや弱い気がして、やはりそれも納得できない。
これは自分ひとりで作っているものではないので、どこかに不可視の線引き、“light note”という線引きが為されている。それはもう説明のしようがない、ただの感覚であって、その感覚の線引きに従って書いているという言い方もできるかも知れない。
