愛について
と先生は言った。
「愛」という漠然とした、どこかで使い古されてしまったかのような、しかしどこかに遍在しているような、いわゆる形のないものについて、僕と先生は語り合っていた。
事の発端は「伊藤の文章と何かできないかなぁ」という先生の燻っておられるかのような一言だった。先生と作品を作るならどんなテーマが良いだろうかと考えた時、ふと「愛」が良いのではないかと思った。
正攻法すぎるけれど、あえてそこに言及してみようとすること。誰にでもあるのかも知れないけれど、簡単に言葉にしてしまうのをためらってしまうこと。そして先生と僕の年齢差、意識の差異と共通点。
一度、愛について語りましょうということで一席設けることとなり居酒屋に行ったのが、2006年の夏か秋くらいだったろうか。卒業して3年が経ち、先生とゆっくり会える時間がなかなか取れないため、今では数ヶ月ぶりに会うことがあれば「どうですか」と話したりする。
作品の構想は何ひとつ話していないのだが、それ以来、どこかで愛を意識している。白髪の増えた両親を見て愛について考える。名古屋を離れて遠くに行ってしまった友人を見て愛について考える。テレビで殺人の報道を見ても愛について考える。
すべてがそこに帰結してしまうのかも知れないが、どこかで躊躇しているのはなぜか。愛という言葉が引き起こす作用に怯えているからなのか、その言葉を疑っているからなのか。
日本語の歴史としても、この言葉のあるべき姿をどこかで取り違えてしまっているのだと思う。言葉に捕われることなく、言葉を捉えることは困難で、ここでまたしても限界のせいなのかと思う。
