2008/05/14

東京でオスカールさんのこと

5月10日と11日、東京へ。

9日の夜に夜行バスで名古屋を発ち、翌朝、新宿に着く。雨。

夜行バスというのは相変わらず目的地のイメージを錯乱させる。カーテンが閉められてどこを走っているのか分からないまま、方向感覚もごまかされていくようで、着いたところが東京だなんて、果たして誰が証明できるというのだ、と18歳の時に初めてひとりで東京へ行った時に思った。

あれから7年、あの時と同じようにひとりで東京に来ている。数多のイメージが街や人並みを形成しているよう。新宿の気休めカフェでコーヒーを飲み、文字を追いかけながら時間をつぶす。


 ◇


今回の一番の目的は、東京都現代美術館で開催されている大岩オスカールさんの個展「夢みる世界」。

昨年の夏、オスカールさんに初めてお会いして以来、すっかりその人柄に惹かれてしまった。お話させて頂いたのは短い間だったけれど、ぽつりぽつりと思い出したかのように発せられる言葉は、ささやかであり、とても端正なものだった。紡ぎ出される言葉と、彼の描くキャンバスの中の世界はやさしい。

そして、そのやさしさと同時に、この人はどれだけしたたかに世界を見つめているのだろうか、と気になっていた。


 ◇


世の中にどれくらいの作家人口があるのか知らないが、自らの社会的存在や立場の定義というものは、作家それぞれで捉え方は違ってくるだろう。その中でもアートシーンに乗っかって、ひとつの時代に残されようとしている現代の作家に「したたかであること」は必要だと思う。昨年の夏にお話をしていた時、どういう経緯でそのような話になったのかは覚えていないのだが、オスカールさんは、

「この歳になって、欲しかったものをだんだん手に入れることができるようになりました」

と言った。

それは僕のような世代が考える単純な物欲ではない。日系2世としてサンパウロに生まれ育ち、20代半ばで東京へ移り、数年前からニューヨークに住んでいるオスカールさんにとっての「したたかさ」だ。


 ◇


オスカールさんの絵を見ている時、その世界に入り込んで心地良くなることもできるし、そのやさしさと強さに打ちひしがれることもできる。僕はそこに陥りつつも、塗り重ねられた色彩の裏側にあるはずの、オスカールさんの目線を意識しようとする。

僕は、すべて与えられている、と思い込んでしまう傲慢な世代なのだと思う。何をするにせよお金はかかるけれど、足りない物というのが何なのか一瞬分からなくなり、どこかで麻痺しているようでもある。

オスカールさんというひとつの世代の人が指し示した「したたかであること」、そしてもうひとつ言葉を付け加えるならば「ラディカルであること」を追いかけながら、いま、作品を生み出そうとすることは、苦しくもあるが、それが正直な答えにもなる。


 ◇


今回の東京ではその他にいくつかギャラリーを回り、知り合いのアートライターさんに会ったり、ドイツ留学時代の友人の個展にも行った。

帰りは新幹線に乗って2時間もしないうちに名古屋へ戻る。この速度。時々疲れはするものの、身体はちゃんと順応している。名古屋駅の広場では2日前と同じように、東京行きの夜行バスを待つ人々がいた。